いつもよりも晴れた朝には一番好きな



 「だから言ったのだ!」

 少年は舌打ちをした。彼は今、街の外れのさびれたゲームセンターの中にいた。彼はコンティニューの数字が8から7に変わったところで百円玉をまたつぎこんだ。そしてこんなことを考えていた。(もしかしたらこの世はゲームセンターなのではないか。そして世界中の人々が大切そうにあがめているお金というものはみな、この世に生きている間にだけ借りている貸メダルなんじゃないか。)彼は、お金を貯めたり、子孫に残したりする人々を気ちがいだと思っていた。

 そんなことを考えているうちに、画面はゲームオーバーを表していた。彼は店を出て、街の中心部とは反対の方向に歩き出した。そして、高校一年の頃、いろいろなアルバイトをしたことを思い出していた。

 「とにかく社会に出なければならない!」

 大きな声でつぶやいたので、すれちがう人は一斉に彼を見た。彼の通っていた高校の生徒は、いやどんな高校生でもそうだが、社会を知らなすぎた。しかし、これは彼が少しばかり社会をのぞいて、社会を知ったつもりになっている証拠だった。

 電話ボックスがあった。少年はガールフレンドにかけようと思ったのか、テレホンカードをさがす動作をした。(いや、しかし電話というのはなんて不完全なんだ。コミュニケーションの手段として、実に不完全だ。リアルタイムに会話はできるけれども、相手の身ぶりや表情が伝わってこない。そして時間ばかりがたってしまうんだ。)結局彼は電話をかけるのをやめた。しかし少年は、電話機の上に、インクの残りが半分以上あるボールペンをみつけた。(ボールペンとしての寿命を全うする者ははたして何本あるだろう。彼らは持ち主が飽きたときが死のときなのだろうな。消しゴムもそうだろうな。)彼はボールペンはそのままにしてまた少し歩いた。店はまばらになってきた。小学生のグループが、ワイワイ話しながら、右の小道から飛び出してきた。一番前を走っていた男の子は、うすい緑のTシャツを着ていた。少年が昔着ていたものによく似ていた。(ああ、俺も小学生の頃があったなあ。全身で子供子供していたなあ。もう俺も、つまらない大人になっていくのだろうか。そういえば、青春ってどんなときなんだろう。自覚するものでもないのかな。あとで思い出して初めて青春なんだろうか。それじゃつまらない。文化祭はやっぱり青春だったな。)彼は自分が文化祭に深く関わってきたことを思い出したがすぐにやめた。(やはり旅だ。毎年友達と旅行に行ったっけ。小さな旅が多かったけどあれは楽しかったし、青春だったのかもしれないな。)彼は小さな旅が好きで、思いつきでどこかへ出かけることが多かった。

  やがて、大通りにつき当たった。少年は自動販売機でコーヒーを買って、少し先のバス停まで歩いた。ベンチに腰かけ、プルタブを開けた。少年は少し、将来について考え始めていた。(大学の間はいろいろな活動をしたい。なんでもできるのは何年も残っていないから。でも、大学にいけばなんでもできると思っているこの感覚は、小学生が中学校に、中学生が高校に、それぞれ受験するときにもっているあの共通の感覚にすぎないんだろうな。そして、入ってみたら、天国でもなんでもない。)

 ホットの缶コーヒーもぬるくなってきていた。最初はベンチに座りたかっただけだったが、次来たバスに乗ることにした。バスが来るまであと5分ぐらいだ。少年は、自分が今自然であることに気づいていた。(人間が最も自然でいられるのはどんなときだろう。自然であるっていうのは、自分を作ってないってことだ。飾らないってことだ。人は、まわりの環境に束縛されればされるほど、自分に嘘をつき始めるんじゃないかな。だから一人でいるときが最も自然で、次は心のおけない仲の人と一緒にいるときだろうな。そして自然なときの自分が最も素敵で、好きだ。)缶コーヒーはもう残っていなかった。缶は冷たくなっていた。バスは、時間をすぎてもまだ来ない。そしてまた、将来について考えるのだった。(俺はどんな職業につくのだろうか。今まで、将来建築家になろうという希望をもってきたけれど、実際どうなるかはまだまだわからない。でも、自分の望むものがやれたらいい。自分の好きなことをして生きていけたら最高だ。)

 バスが来た。彼は硬貨を2枚投げ込んで一番後方の席に座った。そしてすぐに眠ってしまった。

 彼は機械のようだった。意志を持たないそのからだは、まわりの動きに合わせて段をのぼり始めていた。彼は耳に何かをはめていた。それは彼からまわりの音をさえぎっていた。彼は一人の世界にとじこめられていながらも、まわりと同じように歩みをとった。彼は意志を持っていないことを自覚していた。それは不思議といえば不思議な感覚だった。しかし彼は自分の状態を正当化しようとしていた。頭と体が同心円をなさず、中心がずれていた。そのとき見えていた視界は、昔見た景色のようにも思えた。そんなことを考えていても、足は動いていた。まわりの群れは同じ方向に歩いていた。彼らは正気なのだろうか。非日常的な風景に見えた。しかしこれが日常だった。彼は前にもそこにいたことがあった。彼はこの段を登るとき、いつも円の中心がずれていた。しばらく歩き、また別の段を下りると、二つの円は同心円となるのだった。彼は最初の段をのぼる直前まで、キュウコウの中で眠っていたのだった。
 目が覚めた。そこはバスの中で、客は少年一人しか乗っていなかった。乗り物に乗ると眠ってしまうくせはなおってないらしい。おまけに夢まで見たようだ。バスのアナウンスが、次が終点であることを知らせた。

 少年はバスを下りた。終点とはいうもののそこはただの野原だった。ターミナルらしきものは見当たらない。人は誰も見えず、かすかに鳥のさえずりが聞こえるだけだった。(ここは一体どこなのだろう。随分長い間他人と話してないなあ。まるで俺が誰か人を殺したかのようだ。時々、人を殺したらどうなるかを考えてみることがある。人を殺すのはたやすいし、殺されるのもたやすい。しかし、もし本当に人を殺したら、その事実だけで俺は社会から抹殺されるだろう。俺は人格から何から過去までを否定されることになる。その恐怖だけが、俺を殺人から遠ざける。法でも、誰かが決めた善悪の基準でもない。)

 「負けたくない!」

 少年は誰もいない平原に向かって叫んだ。彼には元来、負けず嫌いの性格が備わっていた。しかし、中学から高校へ、精神的に大人になっていく過程において、彼はその性格を知らず知らずのうちに抑えてしまっていた。(こんなにも負けたくないと思ったのは何年ぶりだろうか。しばらくの間、何をまちがえてクールな性格になったのだろう。負けたくないと大声で叫べばよかったのだ。そうさ。)

 それから少年はどこともなしに走り出した。草の感触が足に柔らかい。真正面から受ける風はいたってさわやかだった。(俺は自分に自信がある。しかし、自信にも波があって、悪いときはまるっきり自信がなくなり、他人に依存しようとしてしまう。大きな自己嫌悪だ。逆に良いときは、何をやってもうまくいく予感がするし、実際にうまくいく。根拠はない。でも、根拠のない自信は悪いもんじゃない。自信に根拠はいらない、でも、自信は根拠になるんだろうと思う。)彼は自分を勇気づけ、そして何回かうなずいた。そして走るのをやめた。

 目の前には真っ赤な直方体の箱のようなものがあった。大きさはちょうど駅の売店ぐらいだった。よく見ると、左側の側面に、子供がやっと入ることのできるような小さなドアがあった。

 陽はもう沈みかけていた。からすの群れも空をかけぬけた。どこからか、キンという金属音もした。風が止んだ。

 少年はドアを開けた。




収録:筑波大附駒場高校44期卒業文集 P226〜
Zimmer Georgヘ戻る